3月25日をもってこの日記を終えます。
2003年3月16日昨日は大学の友人での集まりだった。
1人が故郷に帰ることになり、その子を囲む形だった。
どこかの校長先生が自殺したという話になった。
1人の友達は『私は楽観的だからわからない』と言っていた。
他の友達も『確かにそこまではなあー』といった雰囲気だった。
そして『そういう人たちのために梅たちがいるんや』と言われた。
彼女達は本当に明るくて素晴らしい友達だと思う。
こういう友達が子どもを育てる職業に就いていて。
とても素晴らしいことだと思う。
そして私は。
彼女達にとって『わからない人』と関わるだろう職に就く。
もう1人の友達が言った。
『梅と話してて、なんか違うもん。ちゃんと聞いてくれてるって気がする。うちらと違うねん。』
聞き方云々は私にはピンとこなかった。
どちらかというとそうはなりたくなかった。
その代わり、感じることがあった。
私は自殺する人を『わからない』とは思わない。
『わかる』とは言えないが『わからな』くもない。
そして。
彼女達と私は。
だんだん異なってきている。
大学にいるときは思わなかった。
多くの時間と共に過ごし、楽しいことがいっぱいあった。
それでもこの集まりの会を重ねるごとに。
何か違和感がつきまとうようになった。
何が変わったのだろうか。
おそらく、私が変わったのだろうと思う。
私は彼女達に本音が言えなくなった。
意に沿ってか、反してかはわからないが。
私が本音を話せる機会は何年か前に比べて大きく減ったと思う。
この日記や、この日記を見てくれてる親友や。
そして何かのきっかけで「話せる」、と思ったとき。
まあそれがめったにない、という話なのだが。
そういうときに限られるようになった。
友達がHPを休止すると決めたようだ。
彼女の生活を考えると自然な流れのように思う。
少し前から私も同じことを考えていた。
この場所でこれからもこうして本当の気持ちを書き続けることへの疑問。
4月からネットを使うことがままならないという現状。
この日記を始めたのは、ちょうど私が前の彼氏と別れた頃で。
ほんの思いつきで始めたことだった。
この日記をつけはじめてからの2年間は。
私自身が短い23年間を振り返ってみても。
おそらく相当重かったと感じる2年間だった。
その時期にこの日記を書いていたことで。
私はどれだけ救われたか。
いつしか日課となり。
いつしか自分と向き合うための儀式となっていた。
それでも。
辞めようと思う。
何故だかわからない。
逃げかも、しれない。
彼女と違って、私にとっては日記を辞めることが逃げのように思う。
日記を辞めた後の自分について想像がつかない。
それでも。
卒業と同時に。
辞めようと思う。
そろそろ、区切り、つけたいと思う。
1人が故郷に帰ることになり、その子を囲む形だった。
どこかの校長先生が自殺したという話になった。
1人の友達は『私は楽観的だからわからない』と言っていた。
他の友達も『確かにそこまではなあー』といった雰囲気だった。
そして『そういう人たちのために梅たちがいるんや』と言われた。
彼女達は本当に明るくて素晴らしい友達だと思う。
こういう友達が子どもを育てる職業に就いていて。
とても素晴らしいことだと思う。
そして私は。
彼女達にとって『わからない人』と関わるだろう職に就く。
もう1人の友達が言った。
『梅と話してて、なんか違うもん。ちゃんと聞いてくれてるって気がする。うちらと違うねん。』
聞き方云々は私にはピンとこなかった。
どちらかというとそうはなりたくなかった。
その代わり、感じることがあった。
私は自殺する人を『わからない』とは思わない。
『わかる』とは言えないが『わからな』くもない。
そして。
彼女達と私は。
だんだん異なってきている。
大学にいるときは思わなかった。
多くの時間と共に過ごし、楽しいことがいっぱいあった。
それでもこの集まりの会を重ねるごとに。
何か違和感がつきまとうようになった。
何が変わったのだろうか。
おそらく、私が変わったのだろうと思う。
私は彼女達に本音が言えなくなった。
意に沿ってか、反してかはわからないが。
私が本音を話せる機会は何年か前に比べて大きく減ったと思う。
この日記や、この日記を見てくれてる親友や。
そして何かのきっかけで「話せる」、と思ったとき。
まあそれがめったにない、という話なのだが。
そういうときに限られるようになった。
友達がHPを休止すると決めたようだ。
彼女の生活を考えると自然な流れのように思う。
少し前から私も同じことを考えていた。
この場所でこれからもこうして本当の気持ちを書き続けることへの疑問。
4月からネットを使うことがままならないという現状。
この日記を始めたのは、ちょうど私が前の彼氏と別れた頃で。
ほんの思いつきで始めたことだった。
この日記をつけはじめてからの2年間は。
私自身が短い23年間を振り返ってみても。
おそらく相当重かったと感じる2年間だった。
その時期にこの日記を書いていたことで。
私はどれだけ救われたか。
いつしか日課となり。
いつしか自分と向き合うための儀式となっていた。
それでも。
辞めようと思う。
何故だかわからない。
逃げかも、しれない。
彼女と違って、私にとっては日記を辞めることが逃げのように思う。
日記を辞めた後の自分について想像がつかない。
それでも。
卒業と同時に。
辞めようと思う。
そろそろ、区切り、つけたいと思う。
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