生き方さえ

2001年11月30日
私の日常は。
授業も、議論も、本も。
生活の大部分が、「心」をとらえるためのもの。
進んだ道が、そうだったのだ。
自分の一言、相手の一言。
しぐさや沈黙。
すべて見逃さず、とらえていかないといけない。

しんどい。
考えたくない。
気分転換が、できない。
どこにいっても、つきまとう。
私生活との切り替えが、できないんじゃなくて。
同じ世界の続きに私生活があるから。
それも含めて人と関わらないといけないから。

昨日の講座である先生が言ってた。
「患者さんは、ゆらゆらと揺れるつり橋の上を渡っていて、
そこで実際にある隙間からある種の真実を見てしまったがために。
足がすくんで動けなくなってしまっている。」
「そして、私たちはそこへ行って、気持ちを落ち着かせ、
一緒に岸まで渡る役目を担っている。」と。

今の私は。
私こそ。
足がすくんで歩けない。
こんな私が。
何度もつり橋の途中まで行って、連れ出せるのだろうか。
一緒に足がすくんでしまう危険が高い。

私の私生活は。
そのまま患者さんの状態にまでかかわる。

どこへ進んでいったらいいのかさえ、わからなくなる。
恋愛も、仕事も。
生き方そのものが。
わからなくなってる。

今日。
ひさしぶりに。
古内東子の歌を思い出した。
昔大好きだった曲を。
突然に。

こんなにも切ない曲。
なんで思い出すんだろう。
もう、やめてほしい。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索